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2018年2月28日

豊臣秀吉・二度目の一夜城 石垣山

2月26日(月)石垣山(小田原)
豊臣秀吉の最後の戦い「小田原決戦
一夜城として有名な石垣山へ行きました。
秀吉がこの場所を本陣とした気持ちがわかります。
小田原城丸見えで、威嚇効果が高かったでしょうね。
北条の兵士は、モチベーションが下がったことでしょう。


小田原決戦の経緯
歴史好きな方はご存知だと思いますが、面白い話ですよ。
秀吉の上洛の命に従わない関東最大の大名、北条氏政
氏政にとっては、成り上がりの秀吉なにするものぞ!と言う気持ちと、
あの上杉謙信武田信玄でさえ落とせなかった鉄壁の「小田原城」がある!
そんな気持ちだったんでしょうねぇ。
小田原城が丸見え
頂上の本丸跡

二の丸跡

二の丸から本丸を見る

















しかし、城攻め名手の秀吉の攻撃は規模が違いました。
規模:西日本、中部、北陸、関東の大名を連合しての20万超規模の軍団
戦略:北条方の支城を落とし、海側も水軍が押さえる
要は、小田原城の周囲を完全包囲しての長期戦。
無理に攻める気はさらさらない模様。

この状態で石垣山の一夜城を作ります。
山の頂上に密かに(と言っても上層部にはばれていたでしょうが…)城づくり。
出来上がったところで、周りの木を伐採。
確かに北条の下っ端兵士には、朝起きたら突然城があった…の状態ですね。
しかも配下の大名たちの奥さんも呼んでの悠々自適の戦い方。
連日の宴・茶会などなど…
要は、城方に対しての「何年でもいいですよ」という心理的威嚇です。
これでは、名門北条家も降伏するしかなかったでしょうね。

八王子城の悲劇
小田原決戦では、たくさんの逸話が残されています。
そんな中で山と関係するとすれば、八王子城の悲劇が有名です。
北高尾の八王子城ですね。
城主の北条氏照は、氏政と一緒に小田原城に籠るのですが、
残された家臣と一族は、八王子城で秀吉軍を迎え撃ちます。
多勢に無勢で全滅するのですが、ここに壮絶な逸話が残されています。
そんな歴史のせいで、心霊スポットにもなっています。
※詳しくは八王子城の案内で
八王子城本丸跡 2016年2月撮影











一夜城ヨロイヅカファーム
まったく知らなかったのですが、
亡くなった「川島なおみ」さんの旦那さんのお店がありました。
駐車場にたくさんの車が止まっていたのですが、
観光客のお目当ては石垣山ではなく、こちらみたいでした。
一夜城ヨロイヅカファーム
こんな木像がいっぱいありました

 車で行けるので、観光がてらに寄るのもいいですね。

(おしまい)