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2016年6月9日

不憫の恋路「オツネノ泣坂」

オツネノ泣坂の場所
奥多摩湖の麦山の浮橋(通称:ドラム缶橋)から三頭山へ続くヌカザス尾根。
奥多摩三大急登の3番目の候補に挙がっている体力必須の尾根筋コースです。
ちなみに、三大急登1番目は鷹ノ巣山の稲村岩尾根。2番目は本仁田山の大休場尾根。そして3番目には諸説があり、その一つがこのヌカザス尾根です。

さて、そこに「オツネノ泣坂」と呼ばれる言い伝えのある急登があります。
結構な勾配で足場も滑るんですよね。
当初、泣き坂の名前から、登るのがつらい急坂なんだろうなぁと、勝手に思っていました。
ところが調べてみると、不憫な女性の物語がありました。

500年以上前のこと、応仁の乱が起こる少し前の時代です。

ここからは日本昔話風にいきます・・・(笑)
川野城(奥多摩湖)の豪族、杉田重長に仕える女中に
オツネという器量よしの女性がおりましたとさ。
ある日、近くの浄光院にイケメン(ここは現代風に)の若い僧侶が
やってきました。
イケメン僧侶の名前は香蘭といい、二人はいつしか深い仲に・・・
毎晩のように忍び会いが続きました。
そしてついに浄光院の住職がそれに気づきました。
修行の妨げになると、香蘭を山梨県上野原町西原の
寛珠院というお寺に移しました。
オツネは、どうしても香蘭のことが忘れられません。
ある夜、暗い山道を西原の寛珠院へ向かったのです。
そして短い逢う瀬を終え、急いで山道を引き返します。
が、とうとう三頭山を過ぎたあたりの坂道で、東の空が明け始めました。
朝の仕度に間に合わないと、旦那様からお叱りを受けます。
「ああ・・・どうしよう・・・間に合わない・・・」
オツネは泣きながら、坂を駆け下りました。
それを知った村人は、オツネに同情し哀れみました。
いつしかこの坂は「オツネノ泣坂」と呼ばれるようになりましたとさ・・・

女性が一人で、しかも夜の山道を会いに行ったとは!
恋は盲目とは、よく言ったものです。
オツネは可哀想ですが、香蘭のほうはどうかと思いますが・・・

三頭山へ登るコースですが、都民の森からのショートコースではなく、
ヌカザス尾根経由で、オツネの歩いたコースを行くのも一興ですね。
スタートの麦山の浮橋も、いいところですよ^^

三頭山から見た富士山
2013年9月撮影
麦山の浮橋(通称ドラム缶橋)
2013年9月撮影
(おしまい)